多様性を考える「肌色クレヨン」を発見!みんな違って当たり前

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わたしが子どものころは、クレヨンにも絵の具にも、色鉛筆にも必ずといって入っていた「はだいろ」。そんな「はだいろ」が今はないって知っていましたか?

わたしも、海外から戻ってきて教員に戻ったとき、子どもたちが「うすだいだい」と言っているのを聞いて、びっくりしました。

ぶあ
ぶあ

「うすだいだい」って何!?

「はだいろ」はどこにいったの???

けっこうなショックでした。時代遅れの浦島太郎のような気分。子どもたちのクレヨンや絵の具を確認すると「はだいろ」ではなく「うすだいだい」って書いてあるし。

これを読んで「え?肌色じゃないの?」と思った方、仲間ですね~。実は、ずいぶん前から「肌色」は使われなくなっていたんです。なぜか、気になりませんか。

そこで、今日は、わたしの「肌色」思い出(興味のない方はとばしてくださいね)、「肌色」が消えた経緯、最近話題の「肌色クレヨン」というものを紹介したいと思います。興味がある方は、最後までおつきあいください。

わたしと「肌色」との思い出①

幼稚園時代、紙粘土で顔をつくったことがありました。仕上げに顔に絵の具で色をぬったのですが、わたしの作品を見て、先生が心配になったそうです。なぜかというと…

顔は、濃い茶色。髪の毛は、紫。

けっこう、こわい仕上がり。でも、わたしにとっては、ただ好きな色をぬっただけで、別になんとも思っていませんでした。

幼稚園の先生にとっては「心配な色づかい」だったんでしょう。他の子どもたちは、「はだいろ」で顔をぬっていたんだと思います。ただ、うちの母は「個性だから」とそんなに気にしていなかったそうです。

結局、ただの個性だったのか、わたしの心に何か気になる問題があったのか、今になっては分かりません。でも、「人と違うことが心配」というのは、今の日本でもよくある傾向ではないでしょうか。

「顔には肌に近い色をぬらなくてはならない」とか「先生がいうようにやらなくてはならない」とか、そんな型に当てはまらない子は「ちょっと変わった子」と見られがち。わたしも、そんな一人なのでしょう。まぁ、わたしの場合は「変な人」だと自覚していますが…

わたしと「肌色」との思い出②

子どものころから、地黒でした。夏に日焼けして肌が茶色になる子は多いですが、わたしの場合、、一年中、日焼けした肌の色でした。それで、からかわれたり、嫌な思いをしたりすることなく育ったからか、「肌が白くなりたい!」と思ったことはありませんでした。

逆に、旅をするようになってからは、東南アジアへ行けば、現地の人と同化できるというメリットがありました。フィリピンではフィリピン人に間違われ、カンボジアでは「あなた、いとこにそっくり!」と親切にしてもらえ、タイではタイ人料金でお寺などに入れたり、ラッキーなこともたくさんありました。

それが、カナダの小さな町に短期留学したときのこと。ただ、バスに乗っていただけで、歩道から大声で「黄色」と叫ばれました。見ず知らずの若者に、です。「キムチ~!出ていけ」とも言われました。日本人と韓国人が同じに見えたのでしょう。完全な人種差別です。そこで、はじめて気づいたのが

ぶあ
ぶあ

自分は「黄色人種」なんだ。

肌の色の違いで、差別されることがあるんだ。

ということ。英語が話せなくて、嫌な顔をされた経験はありましたが、肌の色で差別を受けたのは、初めてでした。

ショックを受けたことをホストファミリーに話すと、「小さな町にアジアから留学生がたくさんきていることをよく思っていない人もいるのかも。でも、気にすることはないよ」と言われました。

どこにいても、親切な人はいます。ホストファミリーも、行きつけのカフェのスタッフも、学校の先生も、とてもいい人ばかりでした。留学先で出会った留学生たちとの出会いも、かけがえのないものとなりました。

そして、今となっては、あの肌の色で差別を受けた経験も、貴重なものだったと思えます。わたしが受けた差別などは、差別に値しないくらい小さなものかもしれません。実際に、肌の色で今も差別を受けている人がいるはずです。

日本の文房具から「肌色」が消えたわけ

少なくとも、昭和の文房具には「はだいろ」が存在していました。それが、今は「うすだいだい」や「ペールオレンジ」などという表記に変わっています。

調べてみると、2000年前後から「はだいろ」という表記に使われなくなったようです。そもそも、肌の色は十人十色。一色を「はだいろ」とするのは画一的だという声があがったからだそうです。大手メーカー「ぺんてる」では、1999年9月の生産分から切り替えていたとのこと。

大手文房具メーカーをはじめ、今では、どんな文房具でも「はだいろ」という表記ではなく、「うすだいだい」や「ぺールオレンジ」になっています。

それに伴い、学校の図工の授業でも、自画像を描くときには、自分の肌の色に近い色を作って描くように指導しています。低学年は、簡単なので「うすだいだい」をそのまま使って塗る子も多くいますが…。少しずつ、教育現場も変わってきています。

多様な「肌色」を認め合える社会へ

今では、日本にもたくさんの外国籍の方、そのルーツをもつ子どもたちが暮らしています。「はだいろ」はけっして一色ではないことが実感できる社会になりました。

その一方で、一人ひとりの心の中はちゃんと変化しているのでしょうか。少し心配になります。

かつて、わたしが体験したような「肌の色の違い」で差別されている人はいないでしょうか。「見た目の違い」でつきささるような視線におびえている子はいないでしょうか。

日本は島国だからなのか、多様性を認めるのが少し苦手なように感じます。他の国のように攻撃的な、目に見える差別は少ないかもしれません。

でも、まだまだ、誰もが暮らしやすい社会にはなっていないように感じます。「肌の色の違い」「見た目の違い」「目には見えない部分の違い」そういった違いを認めあうことができるようになったら、どんなに「生きやすい」社会になるだろうか…と考えたりします。

「社会を変える」なんて、そんな大きな影響力はわたしにはないし、そんな大きなことをしようと思っているわけでもありません。ただ、自分にできることをできる範囲でやっていくだけ。そのひとつが「子育て」だと思っています。

これからを生きていく娘に「違い」を認めることを教えること。「自分がまわりと違っていても、それでいい」「自分と違っている子がいても、それもいい」と教えたいと思っています。自分を認めることが、他者も認めることにもつながります。

これからの「肌色」を考える

そんなことを日々考えていたところ、こんなものを見つけました!「肌色クレヨン」です。

アメリカのCrayola(クレヨラ)から24色の肌の色だけを集めたクレヨンが発売されています。24色すべてが「肌の色」。色の名前も、食べ物やお花の名前になっています。今は、教育現場を離れているので、教室では使えないけれど、これ、ワクワクします。こうやって、少しずつでも世の中が変わっていくといいですね~。

ぶあ
ぶあ

それにしても、このクレヨン、ほし~い!

日本のCrayolaサイトをチェックしましたが、まだ販売されていないようでした。

気になる方は crayola.com をご覧ください。英語のサイトですが、どんなものかはよく分かると思います。

クレヨンを買う、買わないというよりも、そういった意識をもつことが大事。「肌の色」に意識を向けることは、あくまでもきっかけです。まずは、「自分」をよく知ること。他の人との違いに悩んでいるのであれば、「自分は自分」「違うことは個性」「変人、上等(うちの伯母の言葉)」くらいに思ってみてはどうでしょう。

そして、知らず知らずのうちに、自分の中にも生まれているかもしれない「違い」からの偏見や差別に目を向けること。親の姿勢や考え方は、子どもに大きな影響を与えます。それを忘れることなく、できることから始めていきたいですね。

プロフィール
ぶあ
ぶあ

教育コンサル・アドバイザー/WEBライター/チャイルドコーチ
10年以上の小学校教員経験&コーチングを活かした子育てを実践しながら、その経験をもとにコーチング子育て、おうちで使えるコーチング法など、オリジナルメソッドを公開中。現役時代には発信できなかった「教師の本音」、若い先生たちに伝えたい「ちょっとしたノウハウ」を伝授!
子育ても生き方も、もっともっと自由でいい!まわりの「ものさし」に合わせるのではない、肩の力をぬいた「子育て」「教育」が必要☆
旅大好きな昭和アナログ世代。結婚して子どもが生まれても、旅人魂は変わらず。夢は「旅するように生きること」。

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