今、世界中で大変な事態になっています。
もしかしたら、これは始まりであって、これから先、予期せぬことはもっとたくさん起こるかもしれません。
こんなことは書くと「不安をあおっている」ように感じる方もいるかもしれませんが、そんなつもりはありません。
どんなことが起きても、冷静に自分らしさを失わず、ひとを思いやる心を持ち続けることができるのか、それを試されているような気がしてならないのです。
ずいぶん前から、教育現場でも感じていた子どもたちの変化。それをじっくり考察してみると、実はそれは「想像力」に原因があるのではないかと思うようになりました。
今日は、ちょっとまじめなお話。「子どもたちの「想像力」の欠如がどんな問題をもたらすのか」をお伝えしたいと思います。少し堅苦しい内容かもしれませんが、興味のある方はおつきあいください。
想像力が欠如すると… 友だちとのトラブルが起こりやすくなる
わたしが子どもだったころも、20年くらい前も、そして今も、子どもたちのトラブルは必ずあるものです。それは、子どもはトラブルを通して学んでいるからです。
トラブルが起こることは悪いことではありません。トラブルになった原因や自分の行動、相手の気持ちなどを考え直すことで、子どもは学び、成長することができます。
ただ、ここ数年、地域性があるのかもしれませんが、子どもたちに変化が見られるようになりました。それは、トラブルが起きたあとに、自分自身の行動や相手の気持ちなどを考えることが難しいこと。
たとえば、ひと昔前なら、自分がやってしまったことで相手がどんな気持ちになるのか、想像することができる子がほとんどでした。でも、最近の子どもたちの中には、ふざけているわけではなく、相手の気持ちを想像することがむずかしい子が多くいます。
そんなとき「自分だったらどうかな?」と声をかけることで「自分だったら、いや」と答える子もいれば、「自分だったら、別に気にしない、いやじゃない」と答える子もいます。つまり、「自分だったらいやじゃないから、やってしまった」という子が実際にいるんです。
何か行動する前に「これをやったら、相手がどんな気持ちになるかな」「自分だったらどうかな」という想像力は、自分自身の行動を制御することにつながる。でも、その想像ができないと、自分自身の行動を制御するものがなくなり、感情のままに行動したり、周りのことや相手のことを考えることができなかったりします。
これが、最近見られる子どもたちの多発するトラブルや、トラブルを解決することのむずかしさにつながっているのではないかと思います。
ただ、誤解しないでほしいことは、そういった子どもたちが悪いわけではありません。相手の気持ちを想像することがむずかしい子、自分の気持ちをコントロールすることが苦手な子がいることを、周りの大人が理解することが大事です!
そして、そういった子どもたちに寄り添う支援をしていくこと、「想像できないからダメな子」では決してないことをしっかり子どもに伝えていくことも大切です。
想像力の欠如は… 事故やけがにつながる
想像力にすべての原因があるわけではありませんが、想像力がないと、けがや事故につながるケースも多く見てきました。
たとえば、交通事故。道路への急な飛び出しは、「自分が今道路に飛び出したら、どうなるだろう」ということをまったく考えない衝動的な行動だといえます。ただ、子どもの場合、経験値が低いため、経験したことからでないと想像できない部分もあり、むずかしいところです。
また、けがについても、運動能力や身体能力とも関係ありますが、想像すれば防げるけがというのも、けっこうあるものです。
実は、わたし自身、子どものときにはよくけがをしていたので、おそらく想像力は低かったのだろうと思います…。けがをして、痛い思いをして、はじめて分かることがたくさんありました。
ボールの上に両足でのったらどうなるのか。
ブランコで手を放したらどうなるのか。
自転車の車輪に足を入れたらどうなるのか…
そんなことを、一応想像してから、試していた記憶があります。そして、ちゃんとけがをしてその結果を確かめることができました。でも、大けがには至らず、痛い失敗経験として記憶されています。想像力の低さが明確ですよね。
ただ、最近の子どもたちを見ていると、ジャングルジムで手を放して頭を打ってしまった子、廊下を走って転んで歯を折ってしまった子…、痛い失敗経験だけで簡単に済まされないことも増えています。
子どもの運動能力の低下は、ずっと言われ続けていますが、だからこそ、さらに想像する力が事故やけがを防ぐことにつながるのではないでしょうか。昔以上に想像力が必要になってきているのではないかと感じます。
想像力の欠如は… 自分でものごとを見極めることができなくなる
想像力が低下すると、ものごとを自分で見極めることがむずかしくなるように思います。
たとえば、「友だちが宿題をしないで遊んでいるから、自分もそうしたい」という子どもがいたとします。
判断基準は「友だち」。
宿題をしないで遊んだら、どうなるのかを想像していません。もし、親が「宿題をしないで遊んだらどうなる?」と考えさせる言葉かけをしたら、想像して「宿題をやろう」となるかもしれない。または、想像した上で「遊びから帰ってからでもできる」というかもしれません。
想像する場面を作ることで、子どもは失敗しながらも「こうしたらどうなるんだろう?」と考える習慣をつけることができます。
でも、まったく想像することなく、友だち基準で育ってしまった子は、ものごとを決める基準が「自分」ではなく「誰か」のまま、大人になっていく…。大きな決断をするとき、自分自身でものごとを判断しなくてはいけないとき、決断できなくなってしまいます。
つまり、子どものころから、自分で想像して決断する経験がとても大切だということ。たとえ、失敗経験だとしても…です。
そして、その失敗経験は子どもの学びにつながります。「怒られるから宿題をやる」ではなく、「やらないと困ることがあったら、宿題は一番にやる」と自分で決断できる子どもに育てたいと思いませんか。
想像力の欠如は… 自分のことしか考えられなくなる
「想像力」の大切さは、2020年に世界を襲ったコロナ禍で実感したことでもあります。子どもだけでなく、大人の「想像力」の欠如に悲しくなることがたびたびありました。
トイレットペーパーやマスクの買い占め、転売にはじまり、医療従事者の声に耳を傾けない軽率な行動、これらすべては「想像できない」ことに原因があるのではないかと感じます。
自分さえよければいい。自分は大丈夫。自分のことしか考えていない大人たちの多さに驚くとともに、虚しさを感じました。
周りの人はどうだろう?
こんな立場の人はどうだろう?
自分以外のいろいろな立場の人のことを想像することは、社会にとって、とても大切なことだと思い知らされました。大人の行動は、子どもたちのお手本。大人の行動を見て、子どもたちは育っていきます。
「自分さえよければいい」ではなく、周りの人のことを考える、想像することの大切さを子どもたちに伝えたいと強く感じています。
【まとめ】「想像力」が世界を救う!社会をつくる!
大げさと思われるかもしれませんが、「想像力」はこれからもっと重要になってくるように思います。「自分」を大事にする時代になるとともに、「自分」だけではなく「自分の知らない人」「自分の知らない社会」にも目を向け、想像する時代になるのではないでしょうか。
なんだか、大学の卒業論文のようになってしまいましたね…。
でも、あまりに「想像力」のない人の多さに、書かずにはいられなくなってしまいました。これからを生きる子どもたちには「想像力」を身につけてほしい!と願わずにはいられません。
もちろん、いろいろな特性があり、人の気持ちや違う立場を想像することがむずかしいお子さんがいることも確かです。でも、想像することはむずかしくても、支援方法はあります。
「うちの子は想像力がないから…」であきらめてしまうのではなく、「想像力がないけれど、どう言葉かけをすればいいのだろう」と考えてみてください。想像できない子に「想像しなさい」というのは無理な話です。想像できなくても、できることはあります!
「想像力」というのは、コミュニケーションにも自立にも関わりあるものです。普段、あまり考えていないことかもしれませんが、これを機会に「想像力」についてちょっと意識してもらえたらうれしいです。
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