うちは、英才教育をしようとかまったく思っていないので、習い事も「子どもがやりたい」といい始めたら…と思っています。
親からしたら「これをやらせてあげたい」「これを身につけていると、将来役に立つのでは」と思うこともたくさんありますが、子どもの気持ちを大切にしたいと思っています。
わたし自身、子どものころに習い事をしていて、「それが今役立っているな」と感じることもたまにあります。
でも、習い事の一番の魅力は「居場所」ではないかと思っています。また「居場所」以外にも、今の子どもたちを救うものが「習い事」にはあると感じています。
今日は「なぜ習い事が子どもを救うのか」をお伝えしたいと思います。これは、教員時代にたくさんの子どもたちと出会った中で、実感したものです。具体的な例を出しながら「習い事が子どもを救う4つのわけ」をお伝えできればと思います。
習い事が子どもを救うわけ① 第3の居場所
今の子どもたちは、地域や集団、異年齢で遊ぶ経験が減っています。子どものいる世界は、学校と家庭という子も多い。そのどちらかで何か悩みがあり、居心地の悪いものになったときに、子どもにとって「逃げ場所」がなくなってしまいます。
「学校や家庭から離れた場所=逃げ場所」があるかないかで、子どもの気持ちはずいぶん変わります。現実逃避とは少し違うかもしれませんが、そこから離れた時間を過ごせることで、心のバランスがとれることがあります。
学校には行かれないけれど、習い事には行かれるという子もいます。習い事に「自分の居場所」を見出すことできているからですね。そういう意味でも、習い事は子どもの「第3の居場所」になる可能性があるといえます。
習い事が子どもを救うわけ② 「好き」という気持ち
以前、これからは「好き」という気持ちが「生き方」につながっていく時代になるのではないかと書いたことがありました。
本当にそうなるのかどうかは別としても、「好き」という気持ちは子どもの成長でとても大切です。
「好き」なものに出会うことで、「好き」なことに没頭する時間が生まれます。
大人でもこんな方いませんか。毎日、ストレスを抱えながら仕事をしているけれど、週末に趣味の時間でストレス発散!という方もいますよね。
「好き」なことに夢中になることで、ちょっとした悩みやストレスは発散できる。これは、子どもも同じです。
ただ、子どもの場合、一人で悩みやストレスを解決することがむずかしい場合もあるので、そこは大人が見守り、必要であればアドバイスをしてあげることも大切です。
いやいや「習い事」をするのは、おすすめできません。学校では、苦手なことでもチャレンジしたり、我慢したりすることを学んできている子どもたち。せめて、習い事では「好き」なことに夢中になれる時間にしてあげたいですね。
習い事が子どもを救うわけ③ 「壁」にぶち当たる経験
いくら「好き」なことだといっても、何かを続けて極めていくと、必ず「壁」にぶち当たるときが来ます。その「壁」が、子どもの成長にはとても大事だと思います。
これは、家庭で楽しみながらやっているだけでは、なかなか体験させることができないもの。家庭だとどうしても甘えがでてしまいますよね。
そこが「習い事」のよさ。家庭とは違った「外の世界」で、ある程度の緊張感も味わうことができるんです。
「壁」にぶち当たったとき、子どもは挫折を味わうかもしれません。挫折からどうやって立ちあがるのか、そこはぜひ親子の会話や声かけで乗り越えてほしいところ。乗り越えた経験は、子どもの自信につながります。
習い事を通して「好き」を極めていくことで、「自分」を知ることができるんです。
いくら「好き」なことでも、続けていくことは大変だと気づいたり、努力が必要なことを知ったり、うまくいくことばかりじゃないことを実感したり…たくさんの気づきがあるはずです。そして、その気づきは、子どもの内面を大きく成長させてくれます。
習い事が子どもを救うわけ④ 学校では発揮できない「自分」
学校の中では、なかなか「自分」のよさを発揮できないという子もいます。得意なものがあるのに、それを存分に発揮する場があまりないという子もいるでしょう。または、どうしても、学校では「自分らしさ」を表現できない子もいるかもしれません。
そういう子どもたちにとって、習い事は「自己表現」の場として重要な役割を果たします。「自分」をめいいっぱい表現できる場、時間になるんですね。
中には、学校と習い事でまったく違った顔を見せる子がいます。それは、二面性ではなく、子どもにとって自然なこと。「自分らしさ」を発揮できる場では、生き生きした表情を見せるのは当然です。
「自分らしさ」を発揮できる場が「習い事」だという子は、少なくありません。学校という社会だけじゃなく、それ以外の場を与えてあげることで、子どもの可能性が広がることもあります。
【まとめ】習い事が子どもを救う。その視点で習い事選びをしてみては!?
昭和の習い事は「将来役に立ちそうなもの」というものが多かった気がします。「習い事」はただ「プラスのスキル」を身につけるものでよかった時代といえます。
ピアノも習字も、確かにやっていてよかったとは思うけど、「好き」だったかいわれると、違ったな~。
わたしが子どものころは、まだ地域の教育力があったころ。近所の子どもたちと学年関係なくわいわい遊んでいる時代でした。学校以外にも、地域に「居場所」がたくさんあったんです。
また、家庭の中にも「逃げ場」がありました。子どものころ、祖父母と一緒に住んでいたのですが、親に怒られると祖父母の部屋に逃げ込んでいたのを覚えています。
今、思うと、子どもにとって何かあったときの「逃げ場」って意外と大事なのではないかと思います。
それに比べると、今の子どもたちは、交友関係も狭く、その狭い交友関係で何かトラブルが起こると逃げ場がなくなってしまうことも多い。核家族化で家の中にも逃げ場がない子が多いですよね。
社会でも家庭でも、逃げ場がなくなっている、今の子どもたちにとって新たな「居場所」となり得るのが「習い事」ではないかと思っています。
「習い事」は、ただ単にプラスの能力をつける時代ではなくなったということです。
今日は「習い事」のいい面をお伝えしてきましたが、個人的には「習い事」ばかり詰め込んでしまう生活には、反対です。子どもの「好き」を大切にしながら、生活のバランスを保つのは親の役目。気をつけて「習い事」も選択しましょう。
「これから習い事を始めよう」と思っている方、「今の習い事を見直したい」と思っている方、こんな視点で「習い事」を選んでみるのもありですよ。よかったら参考にしてみてくださいね。
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